アメリカ頼みの戦争の末路 日本人なら絶対に知っておくべきベトナム戦争(前)

ウルトラマンがどんなものか、知らない方はいないでしょう。

地球を守るために怪獣と戦ってくれる、ヒーローですね。
私が小学生だった1970年代後半、男児の間で非常に人気がありました。

巨人ウルトラマンは、巨大な怪獣にほとんど一人で立ち向かいます。翌年制作された人気の高いウルトラセブンも同じですね。

地球防衛隊やウルトラ警備隊も、前もって少し戦いますが、決定的な勝敗は常にウルトラマンたちの格闘力にかかっています。

「ウルトラマン」の終盤には、どうせウルトラマンが戦ってくれるのだから、俺たちの行動など無意味だと無気力になる隊員まで出たほどです。

 

・・・それにしても、どうしてウルトラマンたちは、縁もゆかりもない地球人たちのために、繰り返し怪獣と戦ってくれるのでしょう?

地球人から何の見返りももらえないのに、自分が傷つくことを恐れず、毎度毎度、怪獣と戦ってくれるウルトラマンたち

そして彼らの行動を、何の疑問も持たないで信じる地球人たち

「そんな、うまい話ってあるのかしら?」

・・・子供の頃ですら、心の片隅で、そう思ったものです。

 

成人してからの私は、ウルトラマンたちというのは、もしかしたら戦後の日本人の間に根付きはじめた、安全保障条約により「日本を守ってくれるアメリカ軍」像がモチーフなのかもしれないと思うようになりました。

 

しかし、もしかしたら、それ以上にベトナム戦争が背景にあったのかもしれません。

 

ウルトラマンとセブンが制作されたのは、ちょうどアメリカ軍のベトナムへの軍事介入が最も盛んだった時期でした。

 

ベトナム戦争は一般的に、北ベトナムとアメリカ軍が戦ったと認識されていることが多いですね。

しかし太平洋戦争と違って、正確には北ベトナムはアメリカと戦争したわけではありません。北ベトナムと、かつて南にあったベトナム共和国の内戦に、アメリカが軍事介入したというのが正しい形です。

wikiで検索しても、北の相手国として筆頭に出てくるのは、ベトナム共和国です。

 

このベトナム共和国=南ベトナムの消滅、そしてその民の辿った運命は、戦後日本人なら絶対に知っておくべきことじゃないかと思います。

・・・そのぐらい、衝撃的です。

 

ベトナム戦争のはじまり

ベトナムはフランス植民地だったことで有名ですが、実際に植民地化が始まったのは、1862年の第1次サイゴン条約からです。

つまり明治維新の頃から植民地になったにすぎません。1950年代にはフランスの勢力はベトナムを去るので、1世紀弱の期間といえるでしょう。

同じ東南アジア植民地でも、フィリピンやインドネシアと比べるとだいぶ短い期間です。

 

第二次世界大戦の終了後、日本軍がベトナムから去りました。

その後、宗主国フランスは、フランスと協調してきた阮朝(グエンちょう)の出身でフランス留学経験もあるバオダイ(保大)帝を擁立します。

それを見て、共産圏の支援を受けたホーチミン(ホー・チ・ミン)はハノイを首都にするベトナム民主共和国の設立を宣言します。

1954年の戦いでホーチミン軍が勝利したことにより、フランスはベトナムでの支配権を失いました。

 

一方、貴族出身で反共産主義の政治家ゴ・ディン・ジエムはバオダイ帝を擁立してサイゴンを首都とするベトナム共和国を建国します。

やがてジエムは国民投票を行って制度を変え、直接権力を握るようになり、バオダイは国外亡命します。
(ベトナム戦争の”戦犯”ゴ・ディン・ジエムとは? 関連記事→「ベトナム戦争はキリスト教のせい?カトリックに染まった南ベトナム」)

 

冷戦中で共産主義に目を光らせていたアメリカはソ連をバックに持つホーチミンを警戒し、敵対するジエムに支援を約束しました。

 

南ベトナムとアメリカを結びつけた大統領 ケネディ

アイゼンハワーの次に大統領に就任したケネディは、最初ベトナム問題に対し、それほど積極的ではありませんでした。

しかし就任早々、キューバ危機につながるソ連との緊張を経験し、考えを変えていきます。

ケネディの副大統領リンドン・ジョンソンはサイゴンを訪れ、ジエムと親しく会談し、彼のことをアジアのチャーチルとまで呼ぶようになりました。

そして1962年、ついにアメリカ軍がベトナムに派遣されます。

 

日本ではポジティブなイメージで語られることの多いケネディですが、ベトナム戦争にアメリカ軍を参加させたのはケネディだったんですね。後に述べる南ベトナムにおける枯葉剤散布もケネディの時代に始まっています。

アメリカがベトナム戦争に参入した理由は日本でもよく知られているとおり、共産主義勢力の封じ込めのためでした。

当時のアメリカでは、ひとつの地域が共産主義化すると、周辺の地域もそうなってしまうというドミノ・セオリーが信じられていました。

またジエムが南ベトナムのカトリック勢力拡大に力を入れていたことと、ケネディがアメリカ初のカトリック教徒の大統領だった点も、関係していたかもしれません。
(ベトナム人がカトリック?関連記事→「ベトナム戦争はキリスト教のせい?カトリックに染まった南ベトナム」)

 

やがてケネディが暗殺され、副大統領だったジョンソンが後を引き継ぎます。ベトナム戦争への方針もそのまま引き継がれました。

 

なぜ世界一強い国が負けたのか

南ベトナムが頼みにしたアメリカは裕福な先進国です。歴史ある大国イギリスとも関係が深いですね。

 

一方、北ベトナムが頼りにしたソ連は第二次世界大戦では活躍したものの、その前は同じ西洋人たちから僻地扱いされてきた地域でした。冷戦時はアメリカのライバルとして扱われましたが、実際は新興勢力です。

中国に至っては少し前まで、一部が植民地支配されていたほどですね。

 

そのため、ベトナム戦争にアメリカ軍が本格介入しだしたころは、世界の多くが南ベトナムの勝利を予想したといいます。

 

アメリカ軍の北への攻撃は主に空爆でした。もちろん南ベトナム軍はアメリカ軍に全面的に協力しました。

一方、北ベトナムは正規軍と、ゲリラ活動を得意としたベトコンのセットで立ち向かいます。

このゲリラにアメリカ軍は非常に悩まされます。ベトコンもベトナム人だし、アメリカに味方する南ベトナム兵もベトナム人。敵と味方の見分けがつかないのです。

決め手がないまま、戦争は泥沼化します。

 

―――「日本にやったように、原爆を落とせばよかったのでは?」

・・・そう思う方もいるかもしれません。

日本に原爆投下したとき、世界にはアメリカの他に核保有国はありませんでした。
アメリカ自身、核兵器の威力をよくわかってなかったほどです。

しかし、ベトナム戦争の場合、敵側にはソ連がついています。原爆投下すれば、報復できるようソ連は北ベトナムに核兵器を渡すかもしれません。そうなった場合、現地にいるアメリカ軍兵士が被爆する可能性があります・・・。

初期からアメリカ国内で少なくなかった、ベトナム派兵の必要性を疑問詞する声を考えれば、とてもできなかったでしょう。

 

自壊するアメリカ軍 反対するアメリカ国内

戦争が長引くにつれ、遠い異国に送り込まれたアメリカ兵たちの精神面が崩れていきます。

秩序を失い、部下が人望のない上官を殺すような事件が多発しました。

 

また南ベトナムの一般人とベトコンゲリラの見分けがつかないことは、やがてベトナム人全体に対して警戒感と不信感を持つアメリカ兵を増やしていきます。

1968年には、米兵が無抵抗の南ベトナム人を500人以上虐殺するという、ソンミ村虐殺事件も起きました。

 

・・・犠牲者を出すだけで結果を出せないベトナム戦争に対し、アメリカ国内では否定的な声が強くなっていきます。

「東南アジアなんかに関わらなければよかった」

ヒストリーチャンネルの番組によると、このような厳しい声まで出たといいます。

 

こうした反応を受けて、ジョンソンの次に大統領になったニクソンは、アメリカ軍の「名誉ある撤退」を掲げ、派兵を終わらせる方向で動き始めます。

1973年、ニクソンはパリ和平協定に調印し、米軍撤退が決定します。

 

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長くなるので二回に分けますが、
枯葉剤の問題など、ほんとうに衝撃的な点に触れる「アメリカ頼みの戦争の末路 日本人なら絶対に知っておくべきベトナム戦争(後)」も、どうかご覧ください