知ってほしいバブル期前の日本 1970年代の日本

私の住む地域では「ど根性ガエル」のアニメが再放送されています。

今日の放送は主人公ひろしがバレンタインデーの意味を知らず、勘違いをしてドタバタを起こすという回。今じゃ考えられない設定ですよね。

ど根性ガエルが制作されたのは1970年代前半。当時は、まだバレンタインデーを知らない人が珍しくなかったということでしょう。

今では常識だと思われてることも、バブル景気の豊かさを迎える前はそうでなかったりします。

1970年代序盤に生まれた私からみると、日本社会は1990年前後を境に、まるで別の国のように変化した印象があります。

現在のように衰退する前、日本は世界でも有数の豊かな国だった。バブル期を忘れられない人たちがよく口にするので、若い世代も皆それを知っています。

フジテレビが制作した時代錯誤した番組の低視聴率や、ファッション雑誌Anecamの休刊など、こうした繁栄を忘れられられず現在まで引っ張ってしまう人たちの仕事の失敗が、近年、よく槍玉にあがってますね。

思えば、バブル期に広まった地に足のつかない拡大志向や、刹那的な享楽主義が、今の衰退の下地になったのかもしれません。

そして、逆に、そのバブル期に至る前の時代には、豊かになる下地があったのかもしれないと思います。

最近の日本は問題があると、どうしてそうなったかをあまり考えず、現状だけみて、欧米先進国など成功してるところの対処を真似るだけという傾向が強い気がしませんか?

ですが、良い状態にも、悪い状態にも、必ず原因があるものです。

今回は、そのバブル期に頂点を極めた戦後の豊かさの下地があったろう、1970年代、昭和の日本について、子供の頃の記憶をもとに書いてみます。

もちろん当時でも地域によって差があったろうと思います。私が育ったのは都心から一時間以内の地域にある首都圏のベッドタウンです。

 

メイド・イン・ジャパン

70年代当時、メイドインジャパンがブランドとして価値があるという社会通念はありませんでした。だって、それしかなかったですから。
高級品といえば欧米からの輸入品でした。シャネルの香水がブームになってました。

日本製品は上質とか、日本人は仕事が丁寧とかも、聞いたことなかったです。
苦しい条件でも徹夜してでも根性で仕上げるのが美徳。
連帯責任は学校はもちろん、大人の世界でも当たり前でした。

新しいものは欧米から来たものばかり、
古いものは中国からきたものばかり、
日本という国には何もない
―――――――というのが当時の大人からよく聞いた言葉でした

「西洋人は論理的、日本人は情緒的」
という言葉が
「西洋人は狩猟民族 日本人は農耕民族」
と同じぐらい通説でした。

 

ミンクのコートは富裕層のシンボル

毛皮のコートは富裕層の象徴とされ
特にミンクのコートは高級品とされていました。
キツネの毛皮なども人気がありました。

宝石も人気がありました。成人女性向け雑誌には必ずといっていいほど宝石の広告を見かけました。それらを扱っていたのは普通の日本の宝石商でした。
カルティエ、ブルガリ、ティファニーなどといった欧米ブランドの知名度が高くなったのはバブル期ごろからです。

 

内職が人気

主婦の仕事として内職が人気ありました。
当時描かれたドラえもんの原作などでも目にしますね。

造花を作る内職
雑誌の付録をまとめて閉じる内職
カメラの部品を組み立てる内職
・・・などが主流だったと思います。

ひとつ仕上げるごとに数円~数十円という薄給の仕事でした。
しかし、当時の幼い子を持つ主婦たちにとっては働くといったら内職でした。
パートという言葉さえなかった時代です。

 

出稼ぎ労働の闇

当時、東北は冬になると出稼ぎに出る農業従事者が多く、彼らが一斉に都市部に向かうことを出稼ぎラッシュと呼びました。
出稼ぎラッシュの時期は毎年、その賑わいがニュースで報道されるほどでした。
こうして都市に出た男性たちは、そのまま故郷に帰らず、妻や子が取り残され途方にくれるケースも少なくないと聞きました。
酒やギャンブル、遊びにお金を使い果たしてしまい、帰るに帰れないといった理由が主だったといわれています。
そうした人々を含めて、失踪する人を当時は蒸発した人とも呼んでいました。

かれら東北の出稼ぎ労働者たちは、高度成長期~80年代の建設ラッシュを支えたといわれていますね。

 

剥製が人気

応接間があるような家に行くと、剥製がよく飾られてました。
動物より、鳥のはく製が人気だったような。
銀河鉄道999の序盤に機械伯爵が主人公の母親の剥製を作るというエピソードがありますが、そのぐらい当時の人たちにとって剥製は身近なものでした。
あとクジャクの羽も人気がありました。中流以上の家庭によく飾られてました。

 

飼い犬は家族というより番犬

飼い犬は番犬として飼われているのが一般的でした。そのためドラえもんのジャイアンの家の犬のように外飼いが多く、犬を飼っている家は糞のにおいでわかりました。セコムのような企業はない時代でしたから、裕福な家は複数頭飼っていることも珍しくなかったです。

屋内で飼われる愛玩犬は、よく座敷犬と呼ばれていました。番犬という実利より、楽しみとして犬を飼う生活の余裕があるという証のような存在でした。

当時は散歩の途中で犬がした糞を片づける慣習がなかったので、道端で犬の糞を見ることは普通でした。そのせいか蠅も多かったです。しかし、これは日本だけでなくフランスなどもそうだと当時、知り合いから聞いたことがあります。確かめようがありませんが。

あとドッグフードの種類がビタワンぐらいしかなかったです。
人間が食べる食事と同じものを分け与えるのが普通でした。

番犬はもちろん、愛玩犬もよく吠えました。でも最近は、街なかで犬の鳴き声を聞くことって滅多にありませんね。
飼い主みんなが躾上手というわけないと思うんだけど、どうしてなのかな・・・

 

鳥を飼うことが人気

賃貸の団地でも、鳥ならペットOKの物件が多く、鳥を飼っている人をよく見かけました。セキセイインコ、文鳥、十姉妹などが人気でした。カナリアや九官鳥を飼ってる人も結構見かけました。
カナリアは食べさせる餌によって羽の色を赤っぽくできるそうで、色を保つための赤カナリア、オレンジカナリア専用餌も売られていました。

伝書バトを飼ってる人も複数みました。当時、子供の行動範囲でしか動けなかった自分が知ってるだけで三軒くらい。伝書鳩を飼っている家は、何十羽もの鳩たちが毎日、その家の屋根の上を旋回していたのですぐにわかりました。
現代なら近所から苦情がきそうですけどね。

当時の日本人は、鳥でも犬でも子供が立てる音であっても、騒音に対して鷹揚でした。近年、話題になる幼稚園などに対する騒音苦情のニュースを聞くと、文句を言ってるのは昭和を知る世代に見えるのに、どうしてこうも変わってしまったのかと思います。

あと、当時は野生の鳩といえばドバトよりキジバトでした。
ドバトは伝書バト用の鳩と同じ品種に見えたので、野生の鳩(キジバト)より高級なイメージでした。当時、式典などの折に平和の象徴としてペット飼いの鳩を放す流行があり、 そこから野生化したのが現在よく見られる野生のドバトだといいますね。

祭りがあると夜店でひよこやウズラの雛が売られていました。青やピンク色に羽を着色された雛を見ることもありました。

ペットではありませんが、頭部が黒くて長い尾が青いオナガというカラスの仲間の鳥をよく見ました。今もいるのかな

 

錦鯉を買うのがステータス

当時、裕福な人の間では庭に池をつくり、錦鯉を買うことが流行しました。
ある意味、お金持ちのステータスでした。そのため、家賃収入で潤う元農家のような、ちょっとした小金持ちでも錦鯉を飼いたがりました。

「スイミー」という商品名の錦鯉の餌のテレビCMまでありました、
今は犬猫の餌以外でペットの餌のテレビCMなんて考えられないですね。その犬猫の餌の方はやたらと種類がふえ、高級化してますが。

今は裕福で広大な庭を持ってるような場合でも、錦鯉を飼う人は殆ど見なくなりました。

 

駐車場が少なかった

小学校の通学路の途中で花菖蒲畑やモミの樹畑をよく見ました。
畑を持っている方で、こうした収穫や利益に結びつかないようなものを好きで植えてる人が結構いたんでしょうね。

風流を好む余裕のある人が多かったのかもしれません。

私が中学生になる頃には、どこも駐車場になりましたが。

shou

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・・・こうしてまとめてみると
当時はよくも悪くも自然との距離が近い社会だったと感じます。動物や植物の存在が身近だった。もしかしたら、それは社会の活力とも関係しているのかもしれません。

鳥人気といえば、現在、アジアで最も繁栄しているシンガポールも鳥を飼う人が多いとテレビで見たことがあります。
漫画家の鳥山明さんもDr.スランプがヒットした頃、自分の苗字に鳥がついてるよしみでインコを飼いだしたエピソードを単行本の合間に載せていました。その後、Dr.スランプを上回るヒットになったドラゴンボールを描いて、日本を代表する漫画家になったのは周知のとおりです。

ペットに鳥って縁起がいいのかな?

 

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