信念のあるパクリとは? パクリの価値と日本の変化

以前テレビでも紹介された、セメダイン発祥の逸話をご存知でしょうか?
セメダインはイギリスの接着剤、メンダインをもとに国産の接着剤を作ろうと目指してできたものです。

“(セメダインの商品名には)メンダインなどの外国製品を「攻め」「出す」という意味もあったようです。いや~接着剤に対する熱い思いが伝わってきますね。”

日本側としては確かに美談です。
でも、この逸話、今の時代に置き換えて、イギリス=日本、日本=中国と考えてみたら、どうでしょう?
やはり中国はパクリばかりするとか、技術を教えてやったのに反日だとか、不愉快に感じる人が少なくないのではないでしょうか。商品名だってメンダイン→セメダイン。まるでSONYのパクリのSQNYみたい

けれど、安価なセメダインの普及は日本人の暮らしを豊かにし、日本企業を繁栄させました。
日本人の暮らしは、食べ物からインフラに至るまで、そうした歴史であふれています。
欧米由来のものを日本人が国産にし、それに欧米風の名前をつけて売っている。
ソニーやオリンパスなどの社名もです。もし、インドネシアやケニアなど欧米と離れた地域の人から「ラテン語の『SONUS (ソヌス)』から」「ギリシャのオリンポス山から」私たちの会社の社名を考えたなんて言葉を聞いたら、なんとも奇妙な違和感を覚える日本人は少なくないのではないでしょうか?
過去の日本人がやったことはそういうことなのです。

――でも、いいじゃないか

欧米の技術は確かに優れている。けれど輸入品は高額、だから工夫して安くて”それっぽい”国産品を流通させよう。
元々はどの製品も、日本の皆の暮らしを便利に、手っ取り早く幸せにしたいという思いから生まれたものなのです。
――別に日本人の優れてる才能をひけらかそうなんて思いで生まれたのではありません

それが発展し、日本を代表する企業ブランドや、日本アニメのような独特な文化として世界に通用するようになりました。

こうした日本ブランドの確立を機に、パクリは罪だという意識が国民の間で一般的になっていきました。
ちょうどバブル期あたりからです。だから若い人は昔から日本はこうだったと思ってる方も多いかもしれません。

けれど、今、世にあふれている「日本人はパクリなんてしない、日本人には独創性があるという主張の裏にはどんな心理がありますか?

―――私たちはパクリなんかしない。
なぜなら、私たちにはすばらしい能力があり才能にあふれているから。
私たちは他とは違う。
特別な存在なのだから、特別に扱われるべきである―――

こんな心持ちで、はたして国や社会をよくできるのでしょうか?
国どころか、自分達自身さえ、幸せにできないんじゃないでしょうか?
自然に尊敬される人は素晴らしいですが
自ら尊敬を求める人ほど卑しいものはありません。

もちろんSTAP細胞の女性や五輪エンブレムの方のように
個人的な利益や名誉欲のために剽窃を行う人は論外です。
ただ、革新的な技術、新しい知識、独創的な価値観のような
広まることで世の中をよりよく変えられるものに関しては、パクリがあってもいいと思う――

こんな考え方は先進国のものではないという人がいるかもしれません
でも、日本が目指したいのって欧米先進国のようになることですか?
それとも、少しでも多くの日本人が満足で幸福な人生を歩める国になることですか?
30年前だったら、この二つはほぼ同義だったかもしれません
けれど、今はもう、そうじゃない。

そもそも、欧米先進国の人々が違う人種、違う文化、違う宗教のどこかの国のようになりたいと、自分達の風習を変えたりしましたか?
ヨーロッパの白人キリスト教圏も有史以来ずっと先進国だったわけじゃない。イスラム教圏や中華圏のほうが発展していた時代もありました。
けれど、彼らは明治維新の頃の日本のような判断はしなかった。先祖からの伝統や宗教を守りつつ発展し、その結果、世界の覇権をとれただけなのです。

テレビやネットでさかんにもてはやされる「凄い日本人」
確かに凄い日本人はいるのでしょう。
でも、その凄い日本人は、多くがはるか昔か、遠い世界にいる人で、
情報を見てる私たち、あなたたちなんかじゃない。
“日本人”への称賛なんか求めるより、すぐそばにいる身近な人と助け合いましょう

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