日本人が幼稚と言われるのはなぜ?(下)

世界のほとんどの民族では、何が正しいかを決める基準はその民の伝統的な宗教が握っています。
日本が憧れてきた欧米先進国でさえ、そうです。しかも上流階級ほどその傾向が強い。

 

イギリス王室が花嫁候補に求める絶対に譲れない条件のひとつが「プロテスタントであること」
アメリカの富裕層はユダヤ人が多いことはよく知られていますが、彼らは生まれたときからユダヤ教の厳格な教えに沿って生活しています。
たまに日本人はユダヤ人の子孫だと嬉々と説く人がいますが、血筋なんか問題じゃないのです。エホバ神は戒律に従わない者は私の民から断たれると言ってるんですから(創世記17章14)

 

この観点でみると日本は世界でも非常に特殊な国なのです。明治以降、権力者が人工的に国教を変えてしまった国なのですから。
明治天皇の直前までの天皇家が仏教を信仰しており、葬儀も仏式でおこなわれていたことは、現在のマスコミはほとんど取り上げませんが、事実です。

 

150年もの間、迷子になり続けている日本

明治の大きな変化を経てもなお、儒教や漢学といった東洋文化は生きていました。
「君に忠、親に孝」をとなえる儒教は民衆の支配に都合がよかった。
それに維新の志士たちも、そうした文化で育っている。
自分らをはぐくんだ価値観を否定するのは難しいことです。

日本独自の宗教である神道の役割を忘れてはならないと主張される方もいるかもしれません。しかし、日本書記の神話をご存知のとおり、神道に善悪はありません。神道/道教の役割は自然への崇敬であり、人々の行動の善悪の基準を担当したのは儒教、仏教です。日本に限らず、東アジアでは伝統的にその三つが一種の三位一体をなしてきたのです。
(参考記事:「世界にある神道に似ている宗教と、その民」)

また武士らしい美学にこだわる者ほど、キリスト教を受け入れることが難しかった。
芥川龍之介が作品の中で複数回主張したように
「わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」(マタイ伝27章46)
などと泣き言を言うイエスを信仰することは、強く優れたものに憧れて西洋文化を崇拝した者ほど、できなかった。

 

明治以降の日本人は

西洋の科学技術、軍事力、優れた文化を崇敬するが、それらを生み出したベースにあるキリスト教はあまり好きになれない

やはり先祖から伝わる東洋文化が馴染みやすい。

けれど、それを生んだ中華圏は西洋より弱いので軽蔑している。

 

文明開化を推し進めた人たちの間でも、従来の日本文化を否定し西洋的な価値観に完全に置き換えようとしたがる者と、 東洋の伝統を残したがる者の間で争いがおき、ジレンマの中で、大日本帝国は揺れ続けます。
(参考記事:「教育勅語を生んだ幼学綱要をめぐる衝突」)

 

後に科学と人知を国家の礎にし、 キリスト教を否定し、神道と同じ固有の古代神話を民族意識の中枢にすえたナチスに吸い寄せられてしまったのは、必然だったといえるでしょう。
(参考記事:「なぜナチスはユダヤ人を「追放」ではなく「虐殺」したのか?」)

 

そして敗戦し、日本には戦前をはるかに超える量のアメリカ文化、西洋的な価値観が流入しました。

その後、世代を重ね、伝統的な価値観がほとんど消え去り、東洋と西洋の争いも起きようがなくなったのが、現在なのです。

 

私たちがこれ以上くずれないように、よりよい未来に向かうように、本来の日本の信仰を見つめなおすときがきていると感じます。

 

日本人が幼稚と言われるのはなぜ?(下)