日本皇室は中国の呉の王族の末裔なのか

天皇陛下の生前退位が先日、ニュースになりましたね。
数年後という報道ですが、二年後は平成30年で切りがいいですから、そのあたりが予定されてるかもしれませんね。

 

さて、日本の皇室が中国の紀元前春秋時代の呉王朝の末裔だという説があるのをご存じでしょうか?
日本のwikiにも少し載っています

ちなみに中国では倭人を「呉の太伯の子孫」とする説があり、それが日本にも伝えられて林羅山などの儒学者に支持された。徳川光圀がこれを嘆いて歴史書編纂を志したのが『大日本史』執筆の動機だったといわれている。

このテーマは私がこのサイトを始めた理由の一つです。
徳川光圀に対しても、wikiで広められてる以上のことを書きたいのですが、今回は触れないでおきます。

 

さて、実際この話、中国では日本以上に広く知られているようです。
日本皇室が中国人の間で人気があることは、たまにネットニュースで報じられてますが、根底にはそれがあるのかもしれません。

ちょっとこちらの中国語ページの一部を抜粋してみます。

呉が滅亡した後、生き残った王室の一部が日本に流れ着いた。そしてその地に文明を与え、地位を築いた。そのうちの一派が日本皇室になった。

漢、魏、隋、唐に至っても、彼らは大陸を懐かしみ、使者を送りやりとりをしては「日本皇室は呉の太伯の子孫である」と声明を出してきた。それは我が国の歴史書《魏略》、《晋书》、《北史》、《路史》《梁书》のすべてに記載がある。

通鑑前編(南宋の金履祥(金仁山)によって編まれた歴史書)にも「日本がまた呉の太伯の子孫だといっている。おそらく呉が滅んだ後、枝分かれした者が海を渡り倭になったのだろう」という記載がある。
「“日本又云吴太伯之后,盖吴亡其支庶入海为倭)
また日本の僧侶、中岩円月の 『日本書』でも同様の結論が記載されている

 

中岩円月・・・聞いたことない名前ですが、検索してみると確かに存在しました。鎌倉時代の禅僧のようです。でも日本版wikiにさえ載っていない人物でした。日本人なのに、こんなケース初めて。日本で一般的に知られてる歴史から死角にされてしまってるものって、結構あるんでしょうね。

 

中国の資料をみると、びっくりするような日本の話がでてきます。まだまだ、こんなもんじゃ終わらないですよ。
海外の資料を簡単に見れるインターネットすごい

 

http://www.telecom-tribune.com/kitakuraHP/kodo/03/03.html

http://www.docin.com/p-785904121.html

http://www.telecom-tribune.com/kitakuraHP/kodo/03/03.html

日本皇室は中国の呉の王族の末裔なのか

3 thoughts on “日本皇室は中国の呉の王族の末裔なのか”

  1. 九州倭国の大王家が勾呉の王族の子孫です。自分の予想では諏訪氏が九州倭国王族の末裔だとにらんでます。そしてタケミナカタは倭王武。天皇家も橘氏を通して倭王族の血筋を引いてますから天皇家も姫氏の末裔です。

      1. 信じないのも無理はありません。あまりに飛躍し過ぎている考えみたいですからね。
        でも、歴史を深部のそのまたさらに深部まで学んでみてください、きっと同じ答に辿り着きます。ひとつ例をあげるなら、まず出雲王朝とやらは存在しません。なぜなら諏訪大社の元宮は阿波国、つまり現在の徳島にあります。そこから遷宮されたのが信濃の諏訪大社です。779年のこと。しかし記紀には推古天皇の時代に『信濃の』諏訪大社に祈願に来たと記されています。推古天皇の時代に『信濃』には諏訪大社はまだありません。そして現在の千葉県流山市の諏訪神社は『高市皇子』の子孫によって建てられたという伝承があります。806年のこと。この高市皇子は九州の王朝の最後の天子とされています。実は日本書記にも639年の条で、一度だけ高市天皇の名前で出て来ます。いろいろと『不自然』な点はまだあります。東北ではタケミナカタと八幡神は同じ神として祭られてます。八幡神は応神天皇です。韓国、中国の記録には古代に日本が実際に三韓征伐をしたのは400年代後半から500年代前半で、その事実を中華皇帝に上奏したのは倭武王。そしてタケミナカタは応神天皇が生まれた時に化現したとされています。応神天皇の母が三韓征伐をしたと日本書記は言いますが、軍神とされる八幡神、その同じ神とされるタケミナカタが化現したのが三韓征伐時。
        これらのことから自分は諏訪氏が九州王族の末裔と考えます。

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