ベトナム戦争はキリスト教のせい?カトリックに染まった南ベトナム

アメリカに味方したはずの地域がアメリカ軍に傷つけられ、見捨てられ、枯葉剤に苦しむことになるベトナム戦争・・・
(ベトナム戦争での南ベトナムとは?→「アメリカ頼みの戦争の末路 日本人なら絶対に知っておくべきベトナム戦争」 )

知った当初は本当に衝撃でした。

・・・どうして、こんなひどい戦争が起こりえたのか。アジアでこんなひどいことが起こりうるのか・・・。

 

この時代のベトナムに、この人物がいなければ、南ベトナムにこの不幸はおこらなかったのではないか?日本ならきっとA級戦犯だろう、と思う存在が一人あります。

南ベトナム大統領だったゴ・ディン・ジエム(吳廷琰)です。

 

アメリカ軍の南ベトナムでの活動も、枯葉剤散布も、ともに始めたのは、このゴ・ディン・ジエム、そしてアメリカ大統領ケネディのカトリック大統領コンビでした。

 

熱狂的なカトリック一家に生まれたゴ・ディン・ジエム

フランス人宣教師のベトナム布教が始まったのは17世紀のことです。
ゴ・ディン・ジエムの一族はこの時代、ベトナムの中でも最も早いうちにカトリックに改宗した人々でした。

生まれたときからカトリック信者になるよう運命づけられてたジエムは、誕生時にカトリックの伝統にのっとりジャン=バティストという聖人の名を与えられます。

 

ゴ・ディン・ジエム

 

一家は長いこと、ベトナム阮朝のカトリック信者弾圧に苦しめられてきました。

ベトナムで多数派を占める仏教徒たちもカトリック信者を迫害しました。

仏教徒が主導するキリスト教に対する反乱により、ジエムの祖父母や親戚が教会内で生きたまま焼かれたという過去もありました。

ジエムの父はカトリックの聖職者になることを夢見てイギリス領マレーシアの学校に通っていました。
しかし、この親族が虐殺された事件を受け、夢を諦めます。

代わりに、彼は子どもたちに夢を託しました。彼は息子ジエムらに、キリスト教とフランス語とラテン語、そして中国語の古典を非常に熱心に教えました。

おかげでジエムの兄弟の一人は成人後、ベトナムのカトリック界で最上クラスの司教になりました。

このようにジエム家は熱心なカトリック教徒でしたが、親子ともにフランスの植民地支配には否定的でした。西洋と協調する形でのベトナム独立を願っていました。

 

大統領になったジエム

日本軍が去ったあと、ホーチミンはハノイを占領します。
一方、フランスは皇帝バオダイ(保大帝)をバックアップしベトナム国を建立、サイゴンを首都とします。

このバオダイ帝はフランス留学経験があり、妻はカトリック教徒でした。
やはりカトリック教徒だったジエムは首相になりました。

 

南北はともに統一を望んでいました。共産主義寄りだったホーチミンに対し、バオダイは西側との経済的、文化的なつながりのあるベトナムを望んでいました。

 

しかしバオダイは国民からの人気があまりありませんでした。1955年、ジエムはバオダイを国民投票で退任に追い込み、ベトナム共和国を樹立。自身が初代大統領になります。

 

カトリック信者への過剰な肩入れ

当時のベトナムで最も信者の多い宗教は、仏教でした。

権力を握ったジエムは、マイノリティの宗教であるカトリックを仏教に追いつく勢力に伸ばすことを望みます。

そして、カトリック信者の優遇政策を始めるのです。

 

公共サービス、軍での昇進、土地の配分、ビジネスおよび税に関することまで、ジエム政権下のカトリック教徒は優遇されました。

司祭の一部には個人的に軍を持つことすら許しました。

ジエム政権下で、カトリック教会は国最大の土地の所有者になりました。

1959年、ジエムは南ベトナムを聖母マリアに捧げるとします。

 

アメリカとベトナムを結びつけたカトリック

アメリカはソ連や中国の支援を得るホーチミンを警戒し、一方で首脳陣にカトリック教徒が多く、西洋文化に親和的なジエム政権に好感を持ちます。

ベトナムにもぐりこんでいたCIAは、北部に住むカトリック教徒に共産主義者の反カトリック感情を誇張して語りました。また、アメリカがハノイに原爆を落とす予定だという嘘も広めました。
そのため100万ほどのカトリック教徒が南部に移住したといいます。

 

1961年に大統領に就任したケネディはアメリカ初のカトリック信者の大統領でした。

彼はアメリカがフランスの代わりになる必要はないという周囲の忠告を押しのけ、ジエム政権のためにアメリカ軍の派遣を決定します。

そしてベトコン対策として、枯葉剤の散布も行い始めます。これが後に大きな厄災となるとも知らずに

 

ジエムはアメリカからの援助をカトリック信者の多い村中心に配布しました。

ベトコンゲリラから自衛するための武器もカトリック家庭だけに配布されました。

多くの村が保護を求め、また政権による強制移住のターゲットになることを恐れて、カトリックに改宗しました。

またジエムはカトリック教徒は信頼できるとし、重要な仕事につかせました。

そのため多くの南ベトナム兵が良いポジションを欲して、カトリックに改宗しました。

 

・・・当然ながら、こうした過激な政策は仏教徒から大きな反発をよびます。

ジエムは公のイベントの際にはいつも白と黄金のバチカンの旗を掲げました。
そしてキリスト教徒が旗を飾ることを奨励しました。

しかし仏教徒には釈迦の生誕祝である花祭りにすら旗を飾ることを禁じます。
結果、発生した仏教徒の反乱を、ジエムは武力制圧します。市民の犠牲者を9名出し、これにより、ジエム政権は国内で人気を失うことになります。

 

ケネディの暗殺事件が起きる少し前、クーデターが起き、ジエムは殺害されます。

その遺体は、アメリカ大使の家の隣の無標の墓に埋葬されました。

 

ジエムの死後、南ベトナム軍はまとまりを失い、アメリカ軍の指示に従うだけの集団になります。

 

4年ほどした後、グエン・バン・チューという新しい指導者が出てきます。
このグェン・バン・チュー、ジエムに仕えていながら、クーデターの一味に加わり、最終的にこの地位を掴んだそうです。
彼も、彼の妻もカトリック教徒でした。

サイゴン陥落の少し前、諦めたグェン・バン・チューはベトナムを離れます。日本のwikiによると、この際、大量の金塊を持ち出したとあります。
最終的に彼はアメリカで命を終えることになりました。

 

ホーチミンの強さとは?

ジエムは熱心なキリスト教徒でしたが、孔子の誕生日を祝日にするなど、儒教も認めていました。

ライバルだったホーチミンも儒教学者を父に持ち、その価値観を教育され育っています。彼自身、社会主義者だけでなく儒教家と評されることもあります。

当時のベトナムでは、儒教が強い影響力を持ってたんですね。阮朝も代々、儒教を信奉していました。

 

ホーチミンの面白いところは、若い頃にフランス、アメリカ、イギリス、ロシア、そして中国と数々の外国で暮らすのですが、それでも、当時のアジアによくいたような西洋文化の崇拝者にならなかった点です。

子供の頃はフランス系の学校に通い、長じてはフランス語、英語、ロシア語、広東語、中国語に堪能だったといいます。

日本人でこの時代、こんな経歴だったら、ほとんどの場合、かなりの西洋かぶれになってますよねw

もっともホーチミンの父親は阮朝の官僚になる資格を持ちながら、阮朝に仕えることはフランス人に仕えるのと同じだからと断ったぐらい、ガチガチの保守派だったそうですが。

 

・・・カトリックが強かった南ベトナムが敗北し、ホーチミンにより統一されたベトナム。共産主義国家になったため、しばらくはどの宗教も力が弱まりました。

しかし10年ほど前から、ベトナム政府は仏教(浄土宗)を公認するようになりました。このあたりの流れは中国と似ていますね。
(参考記事:「経済減速 中国で仏教大ブーム!?」 NHK クローズアップ現代)

現在、ベトナムのカトリック教徒は全人口の7%弱だそうです。

 

https://en.wikipedia.org/wiki/Ngo_Dinh_Diem
https://en.wikipedia.org/wiki/Ho_Chi_Minh
https://en.wikipedia.org/wiki/Catholic_Church_in_Vietnam

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