明治~戦前の偉人たちを生んだ漢学 これが本来の日本の道徳




一昨年、BS世界のドキュメンタリー「(不)正直な私たち~“ウソ”を巡る“本当”の話」という、アメリカで2015年に製作された番組が放送されました。

人はなぜウソをつくのか?といったことがテーマです。

番組の中で、ウソの本質をしらべるために、大学生10人ほどに覚えている限りで十戒を書いてもらい、その後に質問をして、ウソをついて答えるか調べるというテストが行われました。

結果、十戒をあらかじめ書いた方がウソをつかず、正直に答える割合が高くなるという結果がでたそうです。

・・・このテストに私は驚きました。

テストの結果に驚いたのではありません。

テストを受けたアメリカの大学生たちが皆、十戒が何であるかを理解していたこと・・・そして十か条すべては覚えてなくても、それなりの内容を書けたという点に驚いたのです。

 

十戒とは、旧約聖書にある、モーセが神ヤハウェから与えられた10条の戒律を指します。「殺してはいけない」「盗んではいけない」「父母を敬え」といった内容です。旧約聖書はユダヤ教徒、キリスト教徒共通の経典です。

学歴重視の国アメリカ。その社会をリードする知的階層の卵である大学生たちが、揃って当たり前に十戒を知っているということは、聖書の価値観がアメリカ社会に基礎として組み込まれているとみていいでしょう。

世界の殆どの国は、宗教的もしくは政治的イデオロギー、またはその混成でまとまっています。国民が幼い頃から教えられ、社会全体を一つにする共通の価値基準がある・・・。

現代日本には、こうした十戒に相応する社会の共通基準は、ないといっていいでしょう。

しかし昭和までの日本では、もしかしたら以下に述べる漢学の内容が、そうだったのかもしれません・・・

 

みんなが学べたわけではなかった「漢学」

wikiによると、漢学(かんがく)とは名前のとおり中国伝来の学問の総称とあります。
洋学(蘭学)・国学に対して、漢籍を通して古典的な思想文物を学び、漢詩文等の作成ができるよう学習する学問の総称ともあります。

この記事でとりあげる日本の戦前教育で教えていた漢学は、後者にあてはまるでしょう。

 

孔子の「論語」を含む儒教の重要経典を「四書五経」といいます。

敗戦前に四書五経を学ぶ人がどのぐらいいたのかをネット調べると、

「まったくやっていない」

という説もあれば

「湯川秀樹は5歳から素読させられていた」

などという説もあります。

・・・それも、そのはずで、これらを学ぶ学科である漢学は、日本の知識層の卵である旧制中学の生徒のためのものだったのです。旧制中学に進学する者は全体の1~2割しかいなかったといわれています。

 

過去記事「義務教育は12歳まで?小学校の次にまた小学校?戦前戦中の日本の教育」でも触れましたように、敗戦前は日本人の多くが小卒でした。

学歴社会の話題になると、現代でもよく「松下幸之助は小卒だった」という話がでてきますね。

しかし小卒が当時の日本にたくさんいたにもかかわらず、彼の存在がこうレアケースのように言われるのは、小卒の人たちが戦後日本をリードする立場になることは、あまりなかったという証かもしれません・・・

2chの歴史板ログにも、こんな書き込みがあります。

旧制の高校や大学の進学者は多くが裕福な家庭出身だったが
戦後も80年代までは政治家や官僚、大企業の幹部といった上層部は 旧制大学出身者がしめていた。

https://2ch.vet/re_awabi_history2_1408633292_a_0

・・・80年代までというと、戦後日本が素早い復興から高度成長期、そしてバブルと、経済大国になるまで上り詰めた時代までということですね。

上記引用では旧制の高校とありますが、旧制では中学と高校はくっついていました。基本、受験のない一貫教育で、中学入学者はそのまま高校に進み、3,4科目の入試を経て大学進学しました。

 

「国数英理社」ではなく「国漢英数」!?

私が漢学というものを知ったのは、過去記事「手塚治虫の妹さんの逸話から考える詰め込み教育」で触れた、手塚さんの妹さんの同級生の方のお話からです。

敗戦後、制度が変わり、彼女が男女共学の高校に進学したところ、
”男子たちは中学から漢学をやっていたので、漢文を白文ですらすら読めた。けれども、私が通った女学校はやっていなかったため、まったくわからず大変だった”
という件を語ったことからでした。

白文とは、返り点も送り仮名もない、漢字だけの漢文のことです。

当時、漢学の教養は旧制中学校に進学できるエリート男子に主に授けられていたようです。女学校は女子のエリートですが、それでも教えていなかったんですね。

・・・にもかかわらず、漢学は当時の重要教科の一つであったといいます。

我々戦前生まれの子供は、学校へ通うようになれば、先ず、英数国漢を習うことから始まりました。

http://so-han.seesaa.net/article/215414504.html

そもそも、昔は国・漢・英・数は4大教科

全国漢文教育学会

漢学は大学入試の主要科目にも含まれていました。

 

また当時の旧制中学には入試があり、お金さえあれば誰でも入れるというわけではありませんでした。

旧制中学に入らない者のためにも、各地に漢学塾とよばれる私塾があり、学問好きな者、あるいは教育熱心な親をもつ子息などが通っていました。

与謝野晶子も9歳から漢学塾に通っていたといいます。

こうした漢学塾で地域の知識人との縁を結んだ出身者は、やがて市長や町長のような役職に就くことが多かったようです。

旧制中学より安価な学費だったため人気のあった師範学校でも漢学を学生に教えていました。学生たちはやがて卒業して教師になり、各地の学校で大勢の生徒たちを指導しました。
そうした学校のうちには、漢学を科目にもたない尋常小学校等もありました。



現在でも、漢文の学習は学校から全く消えてしまったわけではありません。
しかし国語の教科書全体からすると、1割以下のひっそりした存在ですね。

それが戦前は国語と切り離され対等のように扱われ、数学や英語と肩を並べる主要4教科なんて・・・奇妙に感じる戦後生まれは私だけではないでしょう。

しかし、幕末~明治~戦前昭和という歴史の流れからすれば、漢学重視は当然のことでした。

江戸幕府が朱子学を重視したことは現在の歴史教科書にも載っています。
寺子屋も藩校も大多数は漢学を教えていました。

つまり、鎖国中の日本の知識層の知恵が集積された分野が、漢学の理解および解釈だったわけです。

 

現在の歴史では、明治というと「掌中万国一覧」の福沢諭吉や鹿鳴館の井上馨のような、過激な西洋人崇拝者が文明開化の主役として扱われることが多いですね
(白人との混血による人種改造を望んだ井上馨→「白人との混血ぶりを自慢したがるフィリピン人に世界の反応が辛辣」)

しかし実際には、過去の日本の先人の知恵の蓄積を打ち捨てて、何もかも西洋人に近づけてしまおうなんて考えは、主流派ではなかったのでしょう。

明治天皇が洋学派の意見をしりぞけ、お気に入りの儒学者 元田永孚の意見を取り入れて、教育勅語の下地を作らせた件にも、それが垣間見えますね。
(明治天皇は儒学派?→「教育勅語を生んだ幼学綱要をめぐる衝突」)

明治天皇はこの元田のことを非常に信頼しており、元田を介さなければ内閣さえ天皇に奏上することができなかったといいます。

 

それに天照大神の逸話を収録する日本書紀からして漢文で書かれています。
口で天皇だ、皇国だと言ったところで、その天皇家の由来を伝える書も読めないようでは話にならないでしょう。

 

漢学の授業では何を教えていたのか?

近年の日本では、敗戦前の教育を受けた日本人の業績を賛美するコンテンツが多いです。

NHKの朝の連続ドラマや大河ドラマでは幕末~敗戦前を舞台にした作品がよく作られていますね。

前記事「これが今時の日本の道徳の教科書!昭和世代なら愕然の中身とは?」で触れた道徳の教科書でも、新渡戸稲造、渋沢栄一、白洲次郎など、この時代の人物が多く紹介されています。

しかし、日本人の誇りとして語られるこうした人々が、どういう教育を受けてそうなったのかという点は、不思議なほど語られません・・・

西洋文化やキリスト教に絡むこと以外は、あまり触れられないですね。

漢学教育は、そうした死角にされている過去の教育のひとつかもしれません。

では漢学では具体的に、どのような教材が学ばれていたのでしょう?

昭和一桁生まれの私たち旧制中学一年生では「漢文」の時間があり、中国の古典「論語」を学んだ。
孔子と弟子たちとの問答、弟子たちの問答などを集録した書からの教材だった。

http://www.tanishi.co.jp/bunko02/2013/04/4_9.html

・・・やっぱり最初は論語だったんですね。

私が子供だった1970~80年代ごろ、日本で道徳というと頻繁に孔子や孟子の名前がでてきたのは、当時の熟年世代以上がそうした教育を受けてきたせいだったのでしょう。


ほかにも中学では
「文章軌範」 「春秋左氏伝」 「唐宋八家文」 「皇朝史略」 「十八史略」、あと新井白石など江戸時代に作られた漢文、
修身の授業でも論語のほか、「孝経」 「小学」などが使用されていたそうです。

・・・と、いわれても現代人にはわかりませんよね(^^;;)

「文章軌範」は
中国宋の謝枋得が編纂した、唐宋の「古文」の名作文章の選集文献です。

「春秋左氏伝」は
孔子の編纂と伝えられている歴史書『春秋』の代表的な注釈書の1つです。

「唐宋八大家」とは
中国唐代から宋代にかけての八人の文人、唐の韓愈、柳宗元、宋の欧陽脩、蘇洵、蘇軾、蘇轍、曾鞏、王安石を指します。

・・・はっきりいって、調べて紹介してる側の私も全然知らなかったものばかりです。

広島大学のサイトが公開している、当時の漢文の教科書の内容に少し目を通してみましたが、完全な中国語でした。

・・・敗戦前の教育を受けた人たちは、こうした学問を学んでいたんですね。

同じ日本人でも、現代の私たちとは頭の中に入ってることが全然違ったのかもしれません・・・。

 

余談ですが、水戸光圀(水戸黄門)が日本で初めてラーメンを食べた人だといわれてることをご存じですか?

日本に亡命してきた明の儒学者 朱舜水を黄門さまが非常に歓迎し、朱舜水がそれに感謝をあらわして黄門さまにラーメンをふるまったというのです。

この逸話を知った時、中国人の朱舜水と光圀はどうやって意思の疎通をはかったんだろう?と不思議に感じたのですが、今回の内容を調べてみて分かった気がします。

江戸時代の知識層は漢文ができたのなら、最低でも筆談は可能だったでしょう。日本wikiの漢学ページによると、江戸時代の日本はピンインさえ学んでいたそうです。

 

http://www.niye.go.jp/kanri/upload/editor/9/File/kiyo0901.pdf
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/series/50/pdf/kokugo_series_050_03.pdf
http://www.nishogakusha-u.ac.jp/research/coe/k-kyoka.html
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokugoka/59/0/59_KJ00004314202/_pdf

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