日本から消えたジャイアン、生まれないベンチャー

「ドラえもん」に登場するキャラクター、ジャイアンを知らない日本人はほとんどいないでしょう。腕っぷしのつよいガキ大将ですね。

その一方で、ジャイアンはADHDの代名詞のように言われることがあります。ADHD・・いわゆる発達障害ですね。じっとしていられない、集中力がなく、衝動的に行動してしまうといった点が特徴とされています。脳の一部に血流が行き届かないことが原因と指摘する学者もいます。リタリンなど精神科の薬が処方されることが一般的です。

ジャイアンに発達障害、ADHDというレッテルを貼ったのは2000年前後にブームになった『のび太・ジャイアン症候群』という本です。
この本の作者、司馬理英子さんのプロフィールをみてみましょう。

岡山大学医学部、同大学院卒業。1983年渡米。アメリカで4人の子どもを育てるなか、ADHDについて研鑽を深める。1997年『のび太・ジャイアン症候群』(主婦の友社)を執筆

医学部に進学したばかりでなく大学院まで進み、留学なのかはわかりませんがバブル前の時代に渡米までできたこの女性。おそらく裕福で学問を重視する家庭で育ったのでしょう。出木杉くんの女性版といったところでしょうか・・・

いわゆるガキ大将、ギャングエイジともいわれるやんちゃな年齢の少年たちの遊び集団と関わる機会はあまりなかった女性かもしれませんね。

 

この『のび太・ジャイアン症候群』のブームを知ったとき、私は信じられない気持ちで、こう思ったものです。

「あのジャイアンがそうなら、世の中のリーダーシップをとってる多くの人が発達障害ということになってしまうんじゃないか?
彼らを薬でおとなしくさせることを是としたりしたら、社会のいろいろなことがストップしてしまうだろう」

しかし、私の考えに反して、このジャイアン=ADHDという説は広く受け入れられ定着することになりました。
本の内容が、ブームになった2000年前後の子育て事情に一致するものだったんでしょうね。

 

ジャイアンはADHDというよりリーダーシップに富んだ少年

のび太視点で描かれるドラえもんですが、随所の描写からみるにジャイアンはかなり人望のある少年です。

ジャイアンは少年達で構成される野球チームの親分ですが、そのチームの名前はまんま「ジャイアンズ」・・・自分の名前を冠した野球チームなわけです。

今時の少年野球チームというと大人が主導するクラブが一般的ですが、私の知る限りだと1980年代前半ぐらいまでは、こうした中心的な少年が他をまとめる子供だけの草野球グループというのがよく見られました。

そして運動神経の鈍いのび太には、人数が足りないときだけ、お呼びがかかる・・・つまり、普段ジャイアンは自力で10人近い少年を自分の周りに集めることができているというわけです。自分の名前を冠したチームのために。

音痴な歌のリサイタルを開いても、客に困ることはありません。

みんなジャイアンの歌には全く魅力を感じていない。それでも、ジャイアンのリサイタルだといわれれば毎回いやいや集まってくる。
しかもジャイアンが本気で歌手を目指そうと考えてしまうぐらいの人数です。

要するに、のび太の町にはジャイアンを中心にした子供達のグループがあり、のび太はその構成員の一人なんですね。

 

ちなみに「ドラえもん」作者の故 藤本弘さんはジャイアンの未来を社長として描いています。ぼろだった剛田商店をスーパーにして成功したようです。美しい妻もおり、当時の金持ちの象徴であるガウンをまとって裕福そうでした。性格は相変わらず強気のまま。

一方、のび太の未来は父と同じ普通のサラリーマンでしたね。深夜に酔って帰ってきてしずかちゃんに介抱されるシーンがありました。

ドラえもんという作品が成功を収めたあとによく映像化されるようになった「のび太の結婚前夜」などでは違うのかもしれませんが、昭和50年代前半に読まれていた段階ではそうでした。

 

ADHDは障害として扱われ、この問題に取り組む人たちは、彼らが生まれ持った生きにくさへの、周囲への配慮と理解を求めているのが一般的です。

私はADHDを否定しているわけではありませんが、もしジャイアンのようなキャラクターをADHDだというならば、ADHDはもう障害とはいえないものでしょう。

大勢の子供たちのリーダーの地位にあり、作者の藤本氏にまで将来は成功者になるだろうと祝福されてるジャイアン。彼みたいな人をADHDとして理解し配慮しろって、ジェフ・ペゾスに寄付をしてあげてくださいというようなものじゃないでしょうか。

 

もう一人のジャイアン ド根性ガエルのひろし

ジャイアンは大きな体と腕力にものを言わせて、周りを怖がらせ、従わせてるだけだと考える方もいるかもしれません。

けれど、大きな体を持っていないド根性カエルの主人公、ひろしもそうしたキャラクターといえるでしょう。
実際、私の周囲の子供などは70年代に制作されたド根性ガエルの再放送を見て「痩せてるジャイアン」と呼んだほどです。

ひろしはジャイアンより少し年上で中学生。常に勝気で、押しが強く、やり手です。
クラスメイトの作った上手な彫刻を勝手に自分のものにしてしまうような強引さもあります。
夏の暑さをしのぐために空調のきいた銀行の待合室に行き、銀行員に注意されてもあの手この手で居座るようなふてぶてしい性格です。

顔が広く交渉力もあり、いざとなれば宴会場をいっぱいにするぐらい町の人を集めることができます。
担任の南先生の意地悪からピョン吉を守ろうとするときはクラスの皆を味方にすることができ、弁当交換大会をその場の思いつきで言い出せば、やはり他の生徒が従います。

幼いうちに父を亡くし、母子家庭で非常に貧しい生活をしています。食事もご飯の他は卵と煮干ししかないような日々です。買う余裕がないのか個人の考えなのか、制服も着ていません。ケンカ好きで、成績はどん底です。

しかし、そうした苦境にもかかわらず、ひろしの強い性格のせいか、彼をバカにする人はほとんどいません。
逆に子分がいるぐらいです。

京子という同級生の彼女もいます。京子は会社経営者の娘でひろしとは違って恵まれた生活をしています。
しかし、京子の両親はひろしの貧しさや成績の悪さに眉をしかめるようなことはありません。夫婦そろってひろしと娘の交際を歓迎しています。

 

ジャイアンとひろし・・・彼らはDQNでも発達障害でもなく、生まれながらのリーダー素質をもった人間をイメージして作られたキャラクターだと思います。

昭和の頃は、社会のあちこちにこうしたパワフルなリーダーが存在しました。
人々は、彼らを実体験として知っていた。

だから「ドラえもん」は当時、自然に受け入れられ、ど根性ガエルもヒットしたわけです。

 

ジャイアンとひろしを並べると、一般より貧しい環境がこうした性格を生むと誤解されそうですね。しかし「巨人の星」の花形満も、同じくリーダー素質の人間をモデルに描かれたキャラクターではないかと思います。
いつも人に囲まれている花形と、一匹狼の飛雄馬。二人はライバルですが生き方は対照的ですね。

北杜夫さんが「楡家の人びと」の中で、実家である斎藤病院の創業者の祖父(斎藤茂吉の義父)をモデルに描いたという楡喜一郎もこのタイプでしょう。

 

動物学者のいう「20人に1人生まれるリーダー」

今時の子供事情だと、家が裕福で、親もブランド好きで教育熱心、本人の要領もいいスネ夫のような子供がクラスで一目おかれることが多いですね。

でも「ドラえもん」の世界ではスネ夫はジャイアンの腰ぎんちゃくです。
孤高の優等生、出木杉とジャイアンの関係も、そう親しくはないものの友好的です。ジャイアンは彼に対して卑屈になったりしません。

家が貧しくても勉強ができなくても、そんなこと生まれもった活力で覆してしまう。
逆に裕福な人や賢い人を協力者としてさらに力を増す・・・

ジャイアンのような人はカリスマです。

同じ喧嘩が強く周囲に怖がられる存在でも、下層にとどまっているだけの人、アウトローとは違います。

 

コリン・ウィルソンの著作「カリスマへの階段」「アウトサイダー」によると
集団生活をする生き物においては、20体に一体の割合で、生まれながらにリーダーシップに富んだ「指導的な個体」が生まれてくると動物学者は指摘しているそうです。

たとえば朝、教室にAが入ってきて、席についても、クラスの皆はあいさつをする程度で何もおきない。Aは一人で静かに授業の準備をする。

しかしBが入ってきて、彼が席につくと、まもなくその机のまわりに友人が寄ってくる。Bは何もしていないのに・・・ウィルソンによると、20人のうちの一人であるBはそのクラス内に対して支配力を使ったことになるそうです。

Bは友人を集めるための努力なんて何もしていない。なぜ人が集まるのか彼のほうが聞きたいぐらいでしょう。

―――ある意味、これは天の定め。Bの生まれ持ったものなのです。

このような人物の存在をなかなか信じられない場合は、芸能人のことを考えてみてもいいかもしれません。
顔もスタイルも非の打ちどころがないはずなのに、どういうわけか、いくら露出しても人気がでないタレントは少なくありませんね。
その一方で、ちょっとCMに出ただけで大人気になってしまう人もいる。不細工といわれる人が美形より人気を集めてしまうこともありますね。

テレビ越しになる芸能人の魅力はリーダーシップの話とはちょっと違いますが、人が人に及ぼす力には理屈を超えたものがあるという点は同じでしょう。

 

消えたリーダー、生まれないベンチャー

それにしても、もともとリーダーであったはずのジャイアンが、なぜ現在はADHDというレッテルを貼られることになったのでしょう?

「のび太・ジャイアン症候群」という本が出版されたのは1997年です。

首都圏の話ですが、この時代は、ちょうど「今時の男の子は昔のように集団で遊んだりしない、気の合う限られた数人と行き来しあう付き合いをするのが主流である・・・」といった子供同士が築く関係の変化を論じる文をよく見るようになった頃でした。

また、Aくんから遊ぼうと誘われても、Bくんと先に遊ぶ約束をしてるからダメと断るのも、この時代は普通だと読みました。
知らない子とでも友達の友達だから構わず一緒に遊ぶ、そして友達同士の輪が広がる、といったことが少なくなってしまったのだとか。

「ドラえもん」の中でジャイアンが作っていたコミュニティとはだいぶ違いますね。

そして確かに、この本がブームになった90年代に子供時代を過ごした世代、つまり今の30代以下の人々を見ると、

金持ちでなくとも小賢しく如才ない野心的なスネ夫とか、
落ちこぼれでなくても無気力に日々を過ごす夢想家なのび太とか、
いい勤め先、進学先にソツなく進む真面目な出木杉くんならたくさんいますが

強いパワーでこの全員を牽引できる「ジャイアン」を見ない気がします・・・

この本がブームになった当時の子供や母親たちはジャイアンのようなタイプのリーダーシップのある少年というものを目にすることがなく、どういうものかわからない人が多かったでしょう。ゆえに乱暴な少年という属性だけでジャイアンをADHDと判断するようになってしまったのかもしれません・・・。

***********

現在の日本の若い世代にリーダータイプの人間が見られなくなった理由は、なぜ一般的にリーダー個体が20体に一体生まれるのかという理由と同じくわかりません。

今、日本でリーダーをこなしてるのはジャイアンを知っている世代、団塊だバブルだと揶揄されながらも衰退中の日本をかろうじて引っ張っている世代です。
彼らは楽天やユニクロなど今も残るベンチャーを起業した世代でもあります。
そして、その中では若手であるバブル世代さえ現在、一般的な定年が視野に入る時期にさしかかかってきています。

 

ジャイアンが少なくなる日本は今後、どうなるのでしょう?
検索するとこんな文がでてきました。

小森健太朗@komorikentarou

これはコリン・ウィルソンが指摘している優性的5%の話ですね。たしかアメリカの心理学の実験で、朝鮮戦争のときの捕虜の収容所で、指導的な5%を除きさえすれば、残りの95%は、放置したままでも脱獄を試みる者が皆無になるという。 https://twitter.com/ako2001/status/763556244711804928…

 

・・・ちょっと不安な未来図が浮かんでしまいますね。

この引用を見て、ふと先日放送されたNHKの番組を思い出しました。子供の貧困をテーマにした討論番組です。

番組にパネラーとして出演していた20代の若者は
「老人ばかりが恵まれてる状況を変えてほしい。若者の窮状をわかってほしい」という主旨のことを訴えます。

年配者が利をむさぼる社会に搾取されているという認識は若い世代によくみられるものですね。

でも年金生活者のパネラーは「自分たちだって一生懸命働いてきたんだ」と主張します。

すると若者パネラーは食い下がり
「自分たちたちのことだけでなく、若者のことも理解してほしい。耳を傾けてほしい」と求めます。

 

・・・年配者の言い分としては、この若者は何を甘ったれたことを言ってるんだといったところでしょうか。

いまの老人は良い時代に生まれたと言われるが、それは結果論だ。自分たちが若かった頃だって、ずっと好景気だったわけじゃない、オイルショック等もあった。基本的に今より貧しく環境も悪く、年金制度だって不安視されていた。でも当時の年配者だって若者の苦境に理解を示したりしなかった。戦前教育で育った上司や高齢者は、高圧的で、下に我慢を強いるばかりの、今以上にひどい連中が多かった。それを、俺たちが頑張ってここまでにしたんだと。

そして、今の若者たちのことを「理解してほしい、譲歩してほしいと周りに要求するばかりで、なぜ『こんちくしょう!』と自分たちで立ち上がって何とかしようとしないのだろう?」とも思っています。

それが「今時の若い奴は~」「ゆとりは~」という言葉になっていくわけです。

 

確かに昭和に生きた世代は「こんちくしょう!」と自ら立ち上がって社会を変えていきました。
でも、彼らも一人一人が主導したわけじゃない。
ジャイアンのようなカリスマリーダーが当時は当然のようにあちこちにいて、うまくみんなをまとめて一つにして、大きな力を生み出し、社会を変えていったわけです。

若者に上から目線でだめ出しする年配者の多くはジャイアンではなく、ジャイアンの作った輪に参加した構成員の一人です。でも、社会や人間はそういうものだと思っている。

 

でも、ジャイアンを知らない若者の頭にある社会は違います。

彼らの作る集団は、のび太はのび太、スネ夫はスネ夫と似た者同士が集まるものです。その集団の中の仲間どうしで共感し、互いを肯定しあいます。そして別の集団に対しては「リア充」「陰キャラ」「パリピ」などとカテゴリ分けし、理解しあえない、しあう必要もない存在として壁をつくります。

互いに断絶した小さな集団がたくさんある状態です。彼らはそういう社会しか知らず、年配者もまた同じであろうと考えています。

年配者の発する
「(俺たちがそうしたようにお前たちも)自分たちで協力してなんとかしろ!」
という言葉を、彼らは、理解してもらえない、見捨てられていると受け取り、壁の向こうに退くのです。

 

「あいつとは合わない」「こいつらとやっていけるはずない」という訴えを、「うるせえ!」と一喝して、ひとつにしてしまえる存在、ジャイアン。

――ジャイアンの不在は、日本の老人と若者をも深く断絶させてしまっているのです。

 

私がジャイアンを知る世代の一人としていえるのは、ジャイアンが消えた理由がわからないのと同じく、いつ再びジャイアンが現れるかも、天のみぞ知るということです。

先導者のいない今30代以下の日本人は、行先のないまま個々の力をためている分、一旦、行先が決まれば、ものすごいパワーを発揮するのかもしれません・・・

動物学者は「進化は、丘をゆっくり登るような緩やかな連続したプロセスでなく、なにかもっとほとばしるような勢いで起きるらしい」とも述べている

コリン・ウィルソン「カリスマへの階段」

 

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