バブルは日本をどう変えた?老いに向き合えない日本人

現在、40代半ばの自分の人生を振り返って、日本社会が最も大きく変わったと思う時期、それはバブル期~90年代です。
バブル期自体は90年代はじめに終わったと定義されてますが
庶民が「日本って先進国なんだ」と実感するほど豊かさを感じるようになったのは90年代~2000年にかけてではないかと思います。

この時期に、社会の何が、どう変わったのか・・・

「変わったなあ」と、強く思う価値観の一つが、老人に対する社会の意識です。

戦前教育の影響を受けた世代が幅をきかせていた70年代までは、年長者は年長者であるというだけで尊敬しなくてはならない存在でした。本音では不満を持っていたとしても、体裁としてはそうでした。

しかし現在の日本では公の場で老人を社会のお荷物、厄介者として見ることに何の抵抗も感じないケースが増えてきています。

この”年長者を軽んじてもかまわない”という風潮が始まったのは、私の記憶だと80年代頃からだったと思います。

70年代まで、若者というものは両親や弟妹に尽くしながら、つつましく過ごし、やがて紹介や職場などで異性と出会い結婚する・・・というモデルが一般的でした。

寅さんシリーズに登場する櫻夫婦や、70年代に描かれたドラえもんに見える、のび太の両親の若い頃の話などからも、そんな世相が窺えますね。

80年代になり、校内暴力や不良学生の問題出てくるころになると、リーゼントヘアや丈長スカートの学生が年長者に面と向かって「オジン」「オバン」と呼ぶ姿は珍しいものではなくなりました。けれど、その頃はまだ、やはりそうした無秩序は不良の世界だけと思われてきました。もちろん陰口では年長者を悪く言うこともありましたが。

80年代に売れっ子になった当時から「老人は墓石を抱け」など年配の人々に対して辛口だったビートたけしさんの発言が、よく物議をかもしました。
それぐらい、当時の社会で彼の言葉はセンセーショナルだったのです。

それが90年代にさしかかる頃、節操のない主婦を描いた「オバタリアン」という漫画が流行します。このオバタリアンという言葉が社会全体に中高年以上の女性に向けての侮蔑の言葉として広まりました。

父親の下着を一緒に洗ってほしくない、父親の入った後の風呂に入りたくないと主張する娘さんの話題がマスコミに取り上げられるようになったのも、この頃だったように思います。

同時期に、女子大生ブームというものが起こり、ヤング・エグゼクティブという言葉も流行しました。
女性は若くて魅力があること、男性は積極的で開拓的な精神を持つことが何よりも大事だという価値観が蔓延しました。若い歌手、若い作家、若い結婚・・・何でも若いうちから輝きだすものほど優れている、といった調子でマスコミは若者を持ち上げました。特に女性に対してはそれが理想とされました。
椎名桜子さん、小柳ゆきさん、少し遅れますが綿矢りささん等、多くの女性がこうした風潮の寵児になりました。メンバーが小中学生だったSPEEDは大人気を博し、チャイドルなんてものも出てきましたね。
90年代に大ブレイクしたポケモンのサトシの母親も10代で彼を産んだ設定になっていましたっけ。

当時は脳細胞は20歳を過ぎると減っていく一方だという学説が広まっていました。
これを聞くと、当時の若者たちは生き急ぐことを求められてるような気持ちにさせられたものです。現在ではそれは古い学説とされており、脳の寿命は120歳ぐらいまであるといわれるようになりましたが。

 

日本で伝統的に続いてきた人生イメージ・・・人は生まれて、親に養育され、子を持ち、育てながら老いて、次世代に命をつなぐ・・・
といったものが崩れ、代りに

若い=美、安心、優秀、清潔

老い=醜、恐怖、劣等、不潔

というイメージが社会に浸透していったのが、この1980-90年代までの時代、バブルと重なる時代だったと思います。

この時代に生まれた若さを尊ぶ価値観が、
40~50代になっても20代の持つ美と同じ美を目指そうとする現代の「美魔女ブーム」、
薄給の仕事であるにもかかわらずディズニーランド等のテーマパークのバイトに希望者が押し寄せるという怪現象、
アニメや漫画の少年少女に疑似恋愛を抱くアニヲタ、二次ヲタの増加といった
大人になることを拒んでいるともいえる風潮につながっていったのかもしれません。

なぜ、当時のマスコミや権力者がそろって、日本社会を一気にそういう方向に動かそうとしていったのか・・・どんな勢力や思想が働いたのか・・・当時若者だった私にもわかりません。

日本が戦後、モデルにしてきたはずの欧米先進国をみても、保守層は現在の日本の保守層よりはるかに保守的です。

アニメや漫画は若いうちに卒業し、異性を求め、子を持ち育て、両親や親族づきあいを大切にする。いつまでも若いつもりでいる振舞いはimmaturityといって軽蔑され、年相応の行動をすることを期待されます。

日本社会は、日本人が思ってる以上に地に足のつかない状態になってしまっているのかもしれません。

子供たちよ
これは譲り葉の木です
この譲り葉は
新しい葉が出来ると
入り代わってふるい葉が落ちてしまうのです

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作(むぞうさ)に落ちる
新しい葉にいのちを譲って――

この河井酔茗の詩、私が小学校の頃に使った70年代おわりの教科書には載っていて必修でした。
しかしネットで検索すると、現在ではどうも採用されていない?みたいですね。

ネットで検索すると、習っていても若い人の中にはこの詩を「恩着せがましい」と解釈する向きもあるようです。これを知って私個人は「もしかしたら彼らは「死」を意識することがあまりない環境で育ったのかな?」と、ちょっと世代格差を感じました。

アニメキャラクターやテレビのアイドルの若くて綺麗な顔を見てるときは、自分もその仲間のような気がしてしまう。けど、鏡を見れば年齢をしっかり刻んだ顔が映って、不安でいっぱい
・・・何か間違ってしまったと思う。でも、どうしたらよかったのかわからない・・・
そういう人が、今の日本にはたくさんいると思います。

 

どんなに脳内をアニメや漫画やおとぎの国でいっぱいにしても、やっぱり私たち自体は細胞でできた生命体です。命の長さは限られている。そして永遠に夢の国の住人にはなれません。

「日本人らしさ」がこれ以上くずれていかないよう、迷子になってしまっている人同士が手をつなげるよう、できる限り道を探していきたいですね。

 

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